吉田松陰は、安政大獄の中心人物の一人とみなされ、安政6(1859)年10月27日死罪に処せられた。その後、世田谷の若林村には墓碑が建てられる。この写真は、明治2(1869)年10月26日、翌日の命日を前に、広沢真臣、前原一誠等14名の長州藩士が同地に赴き招魂祭を挙行、小野為八(正朝)に記念写真を撮らせた時のものである。前列右より境次郎、山田顕義、岡部富太、井戸小太郎、村井二郎、宇野龍三、冷泉鞆之允、人物不明、後列右より宍道直記、正木市太郎、林友幸、太田市之進、前原一誠、広沢真臣の面々である。尚、本写真は、明治28年11月、小川一真が複成したもの。〔史料編纂所維新史料引継本 I−リ−1433
「広沢真臣以下山口藩士十四人」(一枚)〕