文久2(1862)年の遣欧使節は、ロシアとの間でカラフトの国境画定交渉を試みたが失敗、その後ロシア人の南下が進んだため、箱館奉行兼外国奉行小出大和守と目付石川駿河守が慶応2(1866)年ペテルブルグに派遣され、国境交渉をおこなった。この時も画定交渉は成功せず、結局翌年2月、カラフトを両国雑居地とするカラフト仮規則が締結された。このアルバムは遣露使節団の人々の写真を収めるとともに、同年ロシアに派遣された幕府ロシア留学生の写真も集めている。いずれもロシアで撮影した写真を複成したものである。〔史料編纂所維新史料引継本 II−リ−115
「慶応二年遣露樺太定境談判使節 小出大和守一行写真」(一冊)〕