遣米使節の一行とは別に、創成期の幕府海軍の人々は、軍艦奉行木村摂津守及び軍艦操練所教授方頭取勝麟太郎のもと咸臨丸に乗りこみ、万延元(1860)年1月19日浦賀を出港、難航37日を経てサンフランシスコに到着した。この写真は同地でのもの。前列右から福沢諭吉(木村摂津守従僕)、肥田浜五郎(軍艦操練所教授方)、浜口与右衛門(同)、後列右から岡田井蔵(軍艦操練所教授方手伝)、小永井五八郎(軍艦操練所勤番公用方下役)、根津欽次郎(軍艦操練所教授方手伝)の面々である。〔史料編纂所維新史料引継本 I−リ−1998「咸臨丸乗組員」(一枚)〕