日本の近代は、薩摩や長州の維新の功績者だけがつくりあげたものではない。そのためには日本国民の輿論と公論を形成する新聞と雑誌が社会にしっかりと定着しなければならず、近代的個人と個性を育てる文芸が社会に受容されなければならなかった。数多くのすぐれたジャーナリストがそれを成長させ、支えていったのである。法学部附属明治新聞雑誌文庫所蔵の宮武外骨写真帖アルバムには、多くのジャーナリストの写真が収められている。
ここでは、(1)ジャーナリズム創世紀の人々、
(2)政論ジャーナリスト、
(3)文芸ジャーナリストの3グループ
の順に、彼等の風貌を示してみよう。
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きしだ ぎんこう
(天保4〜明治38年、美作出身、 |
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むらた ふみお
(天保7〜明治24年、広島出身、 |
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なるしま りゅうほく
(天保8〜明治17年、江戸出身、 |
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たぐち うきち
(安政2〜明治38年、江戸出身、 |
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かわなべ きょうさい
(天保2〜明治22年、古河藩士の次男、浮世絵師、 |
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すえひろ しげやす
(嘉永2〜明治29年、宇和島出身、 |
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やまぎわ しちし
(嘉永2〜明治24年、新潟出身、 |
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たかはし きいち
(嘉永3〜明治30年、松江出身、 |
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うえだ のうふ
(嘉永5〜明治28年、岩手県人、 |
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こむろ しんすけ
(嘉永5〜明治18年、丹後宮津出身、 |
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おおいし まさみ
(安政2〜昭和10年、土佐出身、 |
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はなか きょうじろう
(安政3〜明治23年、香取出身、 |
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にしむら げんどう
(安政5年生まれ、三重県出身、 |
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こいづか りゅう
(嘉永4〜大正9年、播州出身、 |
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くさま ときよし
(嘉永6〜昭和7年、京都出身、 |
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みのうら かつんど
(安政元〜昭和4年、臼杵出身、 |
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はたの でんざぶろう
(安政3〜明治40年、長岡出身、 |
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明治22年2月20日国事犯大赦出獄慰労会記念写真
同年2月11日の帝国憲法発布にともなって大赦がおこなわれ、民権活動家の多くも釈放された。関係者は2月20日、横浜の来耘楼において慰労会を開催したが、この写真はその時のもの。 |
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やまだ びみょう
(明治元〜43年、東京出身、 |
22![]()
こうだ ろはん
(慶応3〜昭和22年、江戸出身、 |
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もりた しけん (文久元〜明治30年、備中出身、「郵便報知新聞」の記者として活躍、また、「十五少年」等翻訳者としても有名である) |
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わだ とくたろう
(安政4〜明治32年、岐阜出身、 |
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25![]() 明治37年2月7日 一葉忌記念写真 明治37年の一葉忌での写真。
前列前方から川下江村、蒲原有明、森田草平、辻村黄昏、与謝野寛、小山内薫、小山内八千代、 |
< 以上の出典 >
20・25は、「アルバム−文人・芸妓−」(P410.3/Sh13) 所収、
また明治期のジャーナリストに関しては、 |