幕末の遣欧使節団

4.幕府オランダ留学生


 幕府は先進国の軍事技術・学問修得のため、文久2(1862)年優秀な幕臣と職人をえりすぐってオランダに派遣した。

 軍艦操練所からは内田恒二郎、榎本釜次郎、沢太郎左衛門、赤松大三郎、田口俊平、蕃書調所からは西周と津田真道、長崎養生所からは医学を勉強中の伊東方成と林研海、それに船大工上田寅吉等の職人である。同年9月長崎から出帆したが、ジャワ海で難船の厄に遭い、オランダに到着したのは文久3(1863)年4月であった。各人は同地で長期にわたって勉強し、慶応元(1865)年から4(1868)年にかけて、順次帰国し、日本の諸科学の基礎を築いた。

 ここに示す写真の内斎藤万次郎なる人物は、仏人モンブラン伯が文久2(1862)年来日の際本国につれてかえり、私設秘書として使用した賢次郎(ヅラール・ド・ケン)なる男性である。


   1   2    はやし けんかい    林研海 (林洞海長男、のち陸軍軍医本部長、         1・写真はナダール撮影のもの 2・パリにて撮影)
   3    うちだ つねじろう    内田恒二郎 (のち内田正雄、「輿地誌略」の著者、パリにて撮影)
   4    斎藤万次郎 (21歳とあり、パリにて撮影)  
 < 以上の出典 >

 ●維新前後名士其外写真帖(I−リ−1114の1〜24)
  ※オリジナル写真アルバム

  4−1

 ●遣欧使節一行其他写真(I−リ−1890)
  ※巴里図書館所蔵とあり。ルイ・ルソーがパリの医学研究所で鎖港使節を
  撮影したたものが中心の複成写真アルバム

  4−2 〜4


展示会入口へ戻る
E-mail: syskan@lib.u-tokyo.ac.jp