内国勧業博覧会


               
 江戸時代、各地から物産を集めて展示する催しが、江戸や大坂(大阪)で博物学者達の 手により繰り返し開かれていた。その嚆矢は、宝暦7年(1757)7月、平賀源内(1728ー1779)らが師匠の田村藍水(栗本丹州の実父)を会主として開催した薬品会である。しかし、日本で本格的な産業博覧会が開かれたのは、明治10年(1877)、東京・上野で開催された第1回内国勧業博覧会が最初である。急速な近代化、工業化をめざす明治政府が、当時の内務卿大久保利通の指導の下、欧米の万国博覧会をモデルとして推進した事業のひとつである。

 その後内国勧業博覧会は回を重ね、明治36年(1903)の第5回(大阪・天王寺公園)まで行われた。

 田中芳男は、万国博覧会の経験を活かし、内国博覧会にも毎回関わっており、事務官・ 審査官・評議員などを務めている。

 ここでは、日本の内国勧業博覧会に関する資料を並べてみた。


  1. 『(明治十年)内国勧業博覧会場案内』改正増補
  2. 『第三回内国勧業博覧会独案内 附録東京独案内』
  3. 『(明治十年)内国勧業博覧会規則帖』
  4. 『(明治十年)内国勧業博覧会賞牌褒状授与人名録』
  5. 『第四回内国勧業博覧会審査報告』

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