「鶚軒(がっけん)文庫」について−特別展示に寄せて

     

     鶚軒文庫とは、本学医学部の教授であった土肥慶蔵が収集した蔵書の名称です。土肥慶蔵は皮膚泌尿器科学の分野で大きな功績を残した一方、漢詩文にも親しみ、「鶚軒」と号したことからこのように名付けられました。彼が収集した資料の対象は幅広く、山下政三「鶚軒文庫」(『図書館の窓』vol.23, no.7 1984.7)の記事によれば、昭和4(1929)年作成『鶚軒文庫所蔵目録』には「第一門 総記」「第二門 哲学」「第三門 法制・経済・社会」「第四門 史伝」「第五門 地理」「第六門 文学・語学」「第七門 医学・本草」「第八門 理学・博物」「第九門 芸術・諸芸」「第十門 雑誌・雑書」と分類されている、と伝えられ、その多様さをうかがうことができます。

     昭和6(1931)年に土肥慶蔵が66歳で亡くなると、彼の妻が三井財閥の出身だったこともあり、同年末に三井家(三井合名)が蔵書を購入しました。その後これらの整備が進められ、昭和14(1939)年には目録が完成し、三井文庫所蔵資料として扱われるようになりました。幸いにも大戦中、戦火による消失は免れましたが、戦後のさまざまな影響を受け、この鶚軒文庫は各所に分散してしまうことになります。

     東京大学総合図書館がこの鶚軒文庫を入手した経緯は、現在のところ不明です。しかし、『三井文庫論叢』第35号(2001年刊)によると、鶚軒文庫がカリフォルニア大学に流出する可能性が高まった時、関係者などの働き掛けにより文部省が動き、国内に留めようと努力した経緯があるようです。東京大学総合図書館には、『鶚軒文庫所蔵目録』のうち「第七門 医学・本草」にあたる資料が欠けることなく所蔵されています。その数は1544部4618冊にのぼり、うち約60部が貴重書として指定されています。これらは和漢医学や医学史が主ですが、いわゆる遊郭の吉原や遊女に関する資料なども含まれており、貴重な資料群として利用されています。

     この他、国立国会図書館には「第六門 文学・語学」の漢詩文にあたる資料が所蔵されています。おもに、江戸時代から明治初年にかけて作られた、日本人による漢詩文集7898冊です。昭和25(1950)年に三井文庫より購入したもので、「鶚軒文庫」という括りで利用に供されています。 また、東京医科歯科大学附属図書館には洋書1805冊と和書440冊、それに様々な症例写真のアルバムが所蔵されています。前述、山下政三の記事によれば、この部分は三井文庫からではなく、終戦直前に直接土肥家より購入されたもののようです。洋書の多くはドイツ語で、皮膚科や泌尿器科、性病などに関する医学書が中心です。 残りの殆どは、昭和25(1950)年、カリフォルニア大学バークレイ校に購入手続きが取られ、約2万8千冊の鶚軒文庫が海を渡ったのです。 このようにして現在の三井文庫には鶚軒文庫のどの部分も所蔵されておらず、総合図書館を含めこれら各所で土肥慶蔵の蔵書は生き続けています。

     さて、今回展示する資料の中から特に『加藤見立遺書』20冊について一言ふれておきます。この資料は初公開するものですが、京都大学教授松田清先生により解題されました。それによると尾張藩の医師加藤見立(けんりゅう)と野村立栄の手になる写本であることが判明しました。今回の展示資料が古医学書においては比較的名著として知られるものが多い中、幕末期に蘭学を志す医師たち自らがオランダ語を学ぶため努力したことを伝える、生々とした記録として目を引く資料となっています。

     展示資料の解題は帝京大学名誉教授山口英世先生のご指導を賜りました。また、記念講演会では、大学院医学系研究科教授加我君孝先生に興味深いお話を伺います。その他展示会開催に当たり、内外研究機関の方々に大変お世話になりました。この場をお借りしまして深く御礼申し上げます。

    平成16年11月
    東京大学附属図書館所蔵資料展示委員会

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