展示ケース3 華佗、香月牛山、華岡青洲

     華陀は後漢末の医師。魏の曹操の侍医であったが、曹操の怒りに触れて殺されたといわれる。麻沸散という一種の麻酔薬を使って手術を行ったと伝えられ、記録が正しければ、手術に麻酔薬を使った最古の記録である。

     香月啓益(牛山)(1656‐1740)は、江戸時代前期-中期の医師。貝原益軒に儒学を、鶴原玄益に医学をまなぶ。『小児必要養育草』のほか、『牛山方考』、『老人必要養草』、『婦人寿草』などの多くの医書を著した。

     華岡青洲(1760 - 1835)は、江戸末期の外科医。麻酔剤の開発を行い、麻酔下に日本最初の乳癌手術を行うなど積極的治療法を推進した。宝暦10年10月23日、紀伊国上那賀郡名手庄西野山村字平山(和歌山県那賀郡那賀町大字西野山字平山)に生まれる。名は震、字は伯行、随賢と号し、また居所の名をとって春林軒ともいう。祖父尚親より医を業とし父は直道。23歳で京都に遊学、吉益南涯から古医方を、大和見立にオランダ、カスパル流外科を学び、在洛3年ののち帰郷し家業を継承。彼の開発した経口麻酔薬「通仙散」は、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を主剤とするものに研究を重ね改良を加えたものである。1804年(文化1)10月13日、これを用いて全身麻酔下での乳癌摘出手術に世界で初めて成功した。このほかに乳癌手術だけでも150例ほど行っている。門人は千人を越え数多くの名医を輩出した。



    • 新校正華先生中蔵経 V11/1049
    • 新刻華佗内照圖 V11/1050
    • 小児必要養育草 V11/1458
    • 青洲先生医話 V11/1441
    • 春林軒異常整骨謄圖 V11/1440
    • 奇患録 A00/6486

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