日本皮膚病黴毒図譜   土肥慶蔵 (1910)刊 BV:2

日本皮膚病黴毒図譜

 皮膚疾患の正しい診断と病態の把握には、皮膚局所の様々な病変についての充分な知識と観察眼をもつことが必要である。それを養うための教育には、各疾患の特徴的な皮膚病変を忠実に再現した教材が求められる。カラー写真などがなかった明治時代にあっては、そうした教材としては、病変の正確な彩色スケッチ画(彩色図譜)か、または蝋製彩色立体模型標本(ムラージュ)に頼るほかなかった。ところが当時利用できるものといえば、ごく限られた欧米の皮膚病図譜の翻訳版だけだったのである。

 こうした状況を考えると、わが国の皮膚科学の診療・研究・教育を先導する立場にあった土肥慶蔵教授が、黴毒(当時は医療上も社会的にも大問題の疾患であった)を含む主な皮膚疾患の病変を忠実に示す彩色図譜やムラージュの制作を想い立ったのは、当然というべきであろう。しかしそれを達成するには、画才と併せて図譜やムラージュの制作への熱意を備えた技術者の協力が不可欠となる。幸いにも、土肥教授は伊藤有という同郷(福井県武生町)出身の適任の人材を見つけ出し、最高の技術者としての育成に成功したのである。

 伊藤有が土肥教授の症例をスケッチした原図をもとに作られた彩色図譜が「日本皮膚病黴毒図譜」にほかならない。全体は50図からなり、原則として1疾患が1枚の図に描かれている。図はタテ46cm、ヨコ31cmという大きなサイズの石版印刷画であり、高価なこともあってか、5枚ずつ10回に分けて逐次刊行された。各1回分をまとめて紙ケースに収めたものが帙であり、各帙には5枚の図のほか疾患の説明文が別紙として付けられている(各帙とも販売価格は3円)。第1帙の発行は明治36年(1903)8月、最後の第10帙は7年後の明治43年(1910)8月に刊行されて完結をみた。

 本図譜は、日本人の手になる最初の皮膚病図譜として記念されるべき貴重な医学出版物であるが、10帙が完全に揃ったかたちで現存するものとしては、僅か3部が確認されているに過ぎなかった。その1つは山形市の山形県郷土館(済生館)が所蔵し、展示公開も行われている。

 当の本学では、これまでこの図譜が医学図書館を含めてどこにも架蔵されていないと考えられてきた。ところがこのたび、全10帙の合本が本図書館に所蔵されていることが判明し、幻の図譜がここに姿を現した次第である。伊藤有の繊細を極めた克明な描写はまさしく真に迫る見事な作品というほかなく、カラー写真の到底及ぶところではない。同氏はこれらの原図をもとに数千点の皮膚病ムラージュも制作したといわれ、その一部が本学総合研究博物館に保存されている。(山口先生)




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