東京大学総合図書館の俳書



 東京大学総合図書館の俳書の中核をなすのは、洒竹文庫(江戸期のもの約3000部)・竹冷文庫(同約750部)・知十文庫(同約300部)の3文庫であり、その他に諸名家旧蔵の俳書が約500部収蔵される。総合図書館の俳書の全貌については、『東京大学総合図書館 連歌俳諧書目録』(森川昭・柳生四郎執筆、東京大学出版会、昭和47年)を参照のこと。
 次に、洒竹文庫・竹冷文庫・知十文庫の各旧蔵者の略歴を記しておく。


大野洒竹(おおの・しゃちく)

 明治5年(1872)熊本県生まれ、大正2年(1913)没、42歳。俳人・医師。一高時代に先輩の子規に誘われて句会に加わる。東大在学中に、角田竹冷らの秋声会に入り、また佐々醒雪・笹川臨風らと筑波会を結成する。26歳の時、尾崎紅葉・竹冷らと「俳諧文庫」24冊を刊行開始。古俳書収集は、中学時代からの趣味という。没後の大正5(1916)年に、収集した俳書約4000部(うち3000部ほどは斎藤雀志旧蔵本)が東大国文学研究室に寄贈されたが、関東大震災でほぼ1000部が焼失。現在は約3000部が総合図書館に収蔵される。


角田竹冷(つのだ・ちくれい)

 安政4年(1857)駿河(静岡県)生まれ、大正8年(1919)没、63歳。俳人・弁護士・政治家。姓の「つのだ」は通称、正しくは「すみだ」。39歳の時、尾崎紅葉らと秋声会を結成。47歳で俳誌「卯杖」(うづえ)を創刊、子規の系統の日本派と並ぶ、新派勢力の一中心と目された。俳書は子で俳人の竹涼に伝えられたが、竹涼没後の昭和7年(1932)に東大国文学研究室に寄贈され、現在総合図書館に収蔵される。


岡野知十(おかの・ちじゅう)

 万延元年(1860)蝦夷地(北海道)生まれ、昭和7年(1932)没、73歳。俳人・新聞記者。竹冷らの秋声会に加わったが、39歳で雀会を結成し、42歳で俳誌「半面」を創刊。日本派・秋声会などに対して、新々派を称した。其角や抱一についての研究書もある。収集した俳書は、江戸座関係のものが中心であり、現在総合図書館に収蔵される。



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