1914年にニューヨークで開かれた、中国・韓国・日本の陶器展のカタログ。日本の陶器については、ボストン美術館のモースコレクションから出展。モースへの献辞あり、1500部限定版のうちの169番目のもの。
Japan Societyによる出版。アンカットのまま。
挿絵が独特でおもしろい。著者アンベール(スイス人)は幕末に日本との修好通商条約を結ぶため来日した、
スイス政府特派使節団主席全権。原著はフランス語。
ボストン美術館のモースコレクションカタログ。モースの収集した日本陶器は、4646点にも及ぶ。このコレクションは、美術館が16万ドルで買い上げると言ったにも拘わらず、
モースは12万ドルで売却したという。この目録は1979年再版された。ボストン美術館からの寄贈。
モースとともに日本美術の収集にあたったボストンの大富豪ビゲローは、モースへの手紙で
「君と僕が40年前に接した日本人という生き物は、絶滅しかかっている種族で、
その大半がもう完全に地上から姿を消してしまった」と書いた。モースはこれを読んで、
古い日記を読み返し、日本滞在の記録をつづった「Japan Day by Day(日本その日その日)」を
1917(大正6)年に刊行した。明治10年代前半の日本の景観を写しだすモース自身による733点のスケッチを含む。
ここには、モースが高く評価してやまなかった、明治の日本の心の優しさ、
高い道徳性、自然を生かす知恵を見ることができる。
と同時に私たち日本人が失ってしまったものの大きさを語りかけている。
著者のビゲローは、1882(明治15)年、モースの3度目の来日に同行したボストンの大富豪。モース帰国後も日本にとどまり、フェノロサらと日本美術を収集した。それが現在のボストン美術館の大コレクションである。
開いたページは、日本の思い出とモースの親切に対するビゲロー自身からの謝辞である。
邦訳は「日本のすまい」(1979年八坂書房、鹿島出版会より刊行されている)。
日本の家屋と家具などについての著作。イラストもモース自身の手による。
見開きのページは畳を解説している。モースから、Imperial University of Tokyoへの献辞あり。
(自筆と推測される)
モースはダーウィン進化論を日本で初めて紹介した。
その講義は評判を呼び、特に明治12(1879)年の東大での連続講義は、
石川千代松の手でまとめられ「動物進化論」として出版され、進化論の普及啓蒙に寄与した。
日本初の大学紀要である「理科會粹」(欧文版:Memoirs of the Science Department, University of Tokio, Japan)は、
明治12年(1879)に東京大学理学部により発行された。
モースの「Japan Day by Day」(邦訳「日本その日その日」)によれば、
大森貝塚発見に際しその研究成果を発表する場として、モース自身が大学に紀要刊行を進言したと伝えられる。
「Shell Mounds of Omori」の日本語訳。