[解説パネルと展示図書から 1/4]

加賀藩前田家本郷邸と東京大学本郷キャンパス



 明治10年4月、東京大学は東京医学校、東京開成学校を合併し、医学部と法理文三学部の構成で誕生した。 本郷の地は、大学開設に先立つ明治9年末に東京医学校が移転した所で、紆余曲折を経て、最終的に東京大学の用地として確保された。

 この地は江戸時代に加賀藩前田家の藩邸が置かれた地としてよく知られており、17世紀初頭に加賀藩の下屋敷が置かれた。天和3年(1683年)には上屋敷となり、江戸時代を通じて加賀藩の上屋敷が置かれ、江戸時代を代表する大大名の広壮な大名屋敷の空間がこの地に築かれた。 1840年代に描かれた「江戸御上屋敷惣御絵図」によれば約九万坪の敷地の中心に庭園の育徳園や馬場を据え、南西側に藩主の住まいである御殿が建てられ、家臣等の住む長屋や諸施設が御殿等を取り巻くように配された当時の上屋敷の様子をうかがい知ることができる。
(下図は『谷中本郷駒込小石川辺絵図』 高柴三雄誌  近江屋吾平板 嘉永3年(1850)再改  総合図書館(鴎外文庫) J81:296)

 その後、安政の大地震や明治元年の火事によりそのほとんどが焼失し、当時を偲ばせる建物として現在本郷キャンパスに残っているのは、赤門だけとなったが、安田講堂周辺の地形(西側が高く、東側が低い)や東側(病院と御殿下グラウンドの間の通り)や北側(安田講堂と三四郎池の間の通り)の通りは現在でも主要な通りとして利用されており、当時の名残を留めている。

 近年、キャンパス内の建設工事に伴い学内各所で発掘調査が実施され、江戸時代の遺構や遺物が多数発掘され、文献と考古学資料の双方から東京大学設立以前の姿が明らかにされようとしている。

 設立当初、この旧加賀藩上屋敷跡を中心とする地域に築かれた本郷キャンパスも今では弥生地区(農学部等がある地区)や浅野地区(大型計算機センター等がある地区)を含む17万坪の広大な敷地に多数の研究科・研究所等が林立するキャンパスに変貌している。

参考リンク

  • "東京大学本郷キャンパスの歴史と建築",『建築のアヴァンギャルド』(東京大学創立百二十周年記念東京大学展 : 学問の過去・現在・未来 ; 第3部)
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