[解説パネルと展示図書から 2/4]

夏目漱石『三四郎』と三四郎池



 現在,通称「三四郎池」と呼ばれて本郷キャンパスの憩いの場となっている池の周辺は,育徳園といわれる加賀藩上屋敷の大名庭園であった。

 この地は,大坂役の後,前田利常が徳川将軍から賜ったものである。前田氏はしばらくこの地を放置していたが,寛永6年徳川秀忠,家光の二公があいついでこの邸に臨んだとき,殿閣を新たに修築し,庭園もそれとともに築設された。その後,寛永15年将軍家光の再度の臨邸にあたって大築造を施した。前田利常は性格豪にして風雅を好むといわれ,その後さらに庭園に修築を加えていった。利常の死後,前田綱紀がこれに補修を加え,ここに至って初めて庭園の完成を見る。育徳園と命名したのは綱紀である。育徳園はその景勝を誇り,当時江戸諸侯邸の庭園中第一の名園といわれた。 園中には,八景,八境の勝がありその泉水・築山・小亭などは数奇を極めたものだといわれている。

 この名園育徳園は,明治の初めに東京大学の敷地の中に編入され,その後多少の改修築をされたものの,当時の面影が努めて保存せられている。キャンパス内の森といっても過言ではない木立は,東京大学創立以前から生えていたと思われる背の高い樹木も多い。春の新緑,秋の銀杏の紅葉は見事である。また小鳥や水鳥だけでなく栗鼠などの小動物と出会うこともある。樹木・水・土・生物という自然の感触を味わうことのできる小さな楽園である。

 育徳園の池は形が「心」という字をかたどっていることから心字池と言われている。 しかし,明治の東京大学を今に伝える夏目漱石の『三四郎』により「三四郎池」と呼ばれるようになった。

「それから,この木と水の感じ(エフェクト)がね。―― たいしたものじゃないが,なにしろ東京のまん中にあるんだから ―― 静かでしょう。こういう所でないと学問をやるにはいけませんね。近ごろは東京があまりやかましくなりすぎて困る・・・」   
夏目漱石 『三四郎』より


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